このサイトのタイトルにもなっている「プレーパーク」と私の想い。
プレーパークとは、子どもたちが自由な発想で遊べる遊び場
まず、「プレーパーク」とはなんぞやという話から。
実は世界的な活動のひとつで、最近では日本でも取り組む人や地域が増えてきてじわじわと各地で市民権を獲得している印象です。
自由な遊びが子どもの力を育む
最近の公園では「野球やサッカーなどの危険行為はしないでください」などの看板があったりして、禁止事項がた~くさん並んでいるところもあります。
野球やサッカーは危険行為って(笑)
なかには走っちゃだめっていう公園もあったりするらしい。
でも、「子どもは遊ぶのが仕事」とはよく言ったもので、子どもは自由な遊びのなかから発想力や創造力を鍛えたり、友達との関係をつくり社会性を育んだりするものです。
そういう遊びが大事だよねっていう思想のもとで生まれたのが「プレーパーク」。
東京メトロがCMで取り上げてくれたおかげで少しは一般的になり、じわじわと人気を集めている市民活動のひとつです。
人生ってプレーパークだよね、という気づき
私は月1回とあるプレーパークでプレーリーダーをしていたのですが、プレーパークについて考えるといつも思うのが、
てか、人生そのものがプレーパークじゃね?
ということ。
プレーパークの標語は「自分の責任で自由に遊ぶ」。
自由に遊んで大いに結構。でも、遊びには危険だってあるし、道具も使い方を間違えれば自分や相手を傷つけてしまうことだってあります。
いつもは使わない道具を使ったり火を使ったりしてもいいけど、ちゃんとした使い方やルールを最低限守って遊ぼうね、というのがルールです。
それって人生じゃんね、社会じゃんね、とは思いませんか。
やっぱり子どもたちは「遊び」から社会を学んでいるのだなぁと感じるわけです。
大人は遊んでいるのか?
ここで言いたいのは、「遊び」はそのままどこか行ったりカラオケしたり飲んだりゲームしたりという意味の「遊び」ではなくて、「夢中になっているか」ということ。
子どもの頃は遊んでいると大人の声なんて聞こえないくらい集中していたりしませんでしたか?
で、そういうときは子どもの能力が引き出されているときでもあります。
「遊びとは、魂の活動」
自由な発想でなにかを生み出しているときが一番楽しいし、集中してパフォーマンスも発揮できる。
それこそが本当の「遊び」であり、人生や仕事も「遊び」でなければ質が上がらないと思うのです。
日本のプレーパーク第一人者である天野秀昭さんが「遊びとは、魂の活動」と言っていたけどまさしくその通り。
そして、「遊び」を「人生」や「仕事」に変えてもなんら違和感はない。むしろしっくりくるくらい。
「人生とは、魂の活動」
「仕事とは、魂の活動」
普段会社で仕事をしていると、夢中になってやりたいことをやろうと思っても「今はあれじゃなくてこっちやって」とか「それはやっちゃだめ」とか、公園なんか目じゃないくらい禁止事項が多い。
そんななかでパフォーマンス出せって言われてもねぇ…と感じます。
会社の業績を上げたい経営者はどうにかして今の会社の仕事を従業員の「遊び」にできないか考えた方がいいと思う。
遊ぶように生きるには
受動的な遊びにばかり甘んじない
子どもたちの自由な発想で遊べる場が減っていると上述しましたが、そんな中でもっと困ったことがあります。それは、世の中には自由な発想なんてなくても楽しめる受動的な遊びが満ち溢れているということ。
テレビ、ゲームはもちろん、遊園地やテーマパークみたいなおでかけスポットを見ても、ただ用意されたものを乗ったり見たりするだけの遊び場が多い。
そういうので楽しんでもいいんだけど、そういうところばかりで遊んで用意された遊びで満足して育った子どもたちは、大人になってからも楽しさは誰かに用意してもらえると思ってしまう。
そして、会社員であればぶっちゃけ受動的でもやっていけちゃう仕組みになっている。
だから、「遊ぶ」人が少なくなるのかなぁと。
能動的な遊びを増やす
私がやりたいのは、もっと能動的な体験を世の中に増やすこと。
自分で考えたり工夫したり誰かと協力したりして遊ぶ。
そこでの成功体験を増やせると、自分で考えたり工夫したりすること自体が楽しめるようになるのではないかと。
それ自体が楽しめるようになれば、会社員だってフリーランスだって関係なく、遊ぶように人生楽しむことももっと簡単になるんじゃないかなと思います。